鹿児島地方裁判所 昭和34年(わ)57号 判決 1959年8月19日
被告人 若松耕作
昭三・一・一〇生 無職
主文
被告人を免訴する。
理由
本件公訴事実は、起訴状記載の如く、被告人は、約束手形を偽造行使して石油購買代金の支払を免れようと企て、行使の目的をもつて、擅に、昭和二十八年一月二十一日頃鹿児島市南林寺町五〇番地の当時の自己店舖において、約束手形用紙一枚に金額十万七千百円、支払期日昭和二十八年三月二十日、支払地鹿児島市、支払場所企業信用金庫、振出地鹿児島市とそれぞれ記入し、振出人として鹿児島県肝属郡垂水町三六番地翠幸商会代表責任者若松真作と刻したゴム印を冒捺し、その名下に若松と刻している自己の印章を押捺して、右若松真作振出名義の約束手形一通を作成偽造し、同日頃同市築町五一番地所在南国殖産株式会社鹿児島営業所において、右会社係員に対し、これを真正に作成されたものの如く装つて交付行使して、右会社係員を欺き、よつて右金額相当の右会社に対する自己の石油購買代金の支払を免れて、同額の財産上不法の利益を得た外、同様の意図目的をもつて、別紙犯罪表記載のとおり、同二十八年一月二十四日頃から同年五月二十日頃までの間二十回に亘り、前記自己店舖において、自から又は情を知らない自己の使用人田中清澄等をして、前同様の方法をもつて、擅に前同様の右若松真作振出名義の約束手形合計二十通(額面金額合計百七十六万二千四百十二円)を作成偽造し、その頃自ら前記会社営業所において同会社係員に対し、これ等を真正に作成されたものの如く装つて交付行使し(犯罪表1、2、5乃至9、10、11、14乃至16、17、18、19、20については一括行使)、もつて右会社係員を欺いてそれぞれ手形金額相当の前同様の代金の支払を免れて、各々手形金額に相当する財産上不法の利益を得たものである、と謂うにある。
而して検察官は右公訴事実の二十一回に亘る各有価証券偽造、同行使詐欺は併合罪である旨を主張している。然し乍ら、当裁判所は、本件記録、証拠物等の全証拠を検討した結果、右公訴事実の二十一回に亘る各有価証券偽造、同行使詐欺は、証拠上その成立を認めることは出来るが、刑法第一六二条第一項、第一六三条第一項、第二四六条第二項、第五四条後段及び前段、第一〇条に則つて、最も重い刑法第一六三条第一項の偽造有価証券行使罪の刑に従うべきことは勿論、これ等二十一回に亘る罪は法律上包括一罪を構成するものと評価すべく、而して尚、被告人は、昭和三十年三月三十一日鹿児島地方裁判所において、「行使の目的をもつて昭和二十八年一月七日鹿児島市南林寺町五十番地の店舖において情を知らない田中宏一をして約束手形用紙に金額十四万二千八百円、支払期日昭和二十八年三月八日、支払地及び振出地鹿児島市、支払場所企業信用金庫なる旨を記載させた上、振出人として鹿児島県肝属郡垂水町三六番地翠幸商会代表責任者若松真作と冒書させてその名下に若松と刻してある自己の印を擅に押捺しもつて同人振出名義の約束手形一通を偽造し、同日頃同市築町五十一番地所在南国殖産株式会社鹿児島営業所において係員に真正なものとして提出交付し係員を欺罔しその場で右金員相当の石油製品引渡の指令書一枚の交付を受けこれを騙取した」、との罪により懲役十月に処せられ、三年間刑の執行猶予の判決を受け、昭和三十年四月十五日に確定していることは検察事務官作成の判決謄本及び前科調書等によつて明らかであるが、この既に確定判決を受けた有価証券偽造、同行使、詐欺の罪と本件公訴事実たる前記二十一回に亘る有価証券偽造、同行使詐欺の罪とは、是亦包括一罪の関係にあるものと解する。惟うに、包括一罪なる観念は、実体法と訴訟法との調和的解釈に基くべきものであり、特に憲法の所期するところの裁判の迅速と公正とによる被告人の基本的人権尊重の理念を含むところのものである。然らば、何故に本件公訴事実については右の如く包括一罪であり、既に確定判決を経た罪であると解すべきかについて、証拠上その他に関し当裁判所の見解を明示して置くことが必要であると思われるので、これを次のとおり説示する。
そもそも本件の発端は、被害者たる南国殖産株式会社の代表取締役上野喜左衛門が同会社の使用人浮辺忍を代理人として鹿児島市警察署長に対し文書をもつて、被告人を前記確定判決を経たる罪と本件公訴事実とを全部一緒にして合計二十二通、被冒用名義その他同一形態の約束手形の偽造、同行使、詐欺罪について告訴したところから始まつている(鹿児島地方裁判所昭和二十九年(わ)第五九〇号の記録即ち証第二三号及びその他の証拠により明らかである)。然るに同記録その他の証拠に徴すれば、右告訴に係わる合計二十二通の手形偽造行使に基く詐欺の事実については、捜査官の手において一切の証拠は完備されて居り、全部について起訴するのに何等の支障もなかつたことが充分に認められるのに拘らず、右二十二通のうち一番最初の手形一通についてのみ昭和二十九年十二月三十日に起訴があり、而して公判になつてからその起訴に係わる被害金についてのみ弁償があり、その結果は前記の如く被告人は執行猶予となつたが、検察官から控訴はなく、そのまま確定したことが明らかである。次に、右二十二通の手形偽造行使に基く詐欺の行われた社会形態としては被告人は被害会社と昭和二十七年一月頃から石油製品卸買の取引を開始し、同年七月から同会社の副代理店となり、被告人が同会社から卸買した石油製品の代金支払方法としては約束手形の振出によつて行われることとなり、翌二十八年五月までこの取引が継続され、その間多数の偽造に係る前記若松真作(被告人の実父)名義の約束手形が被告人より同会社に差入れられ、同会社においてはこれを支払期日前に割引に廻し、被告人より割引先に入金してこれを落したことも屡々あつたが、その間被告人より入金がないために手形の決済が出来なかつた分が即ち前記の二十二通の約束手形であることも亦明らかな事実である。而して又、同会社から被告人が石油製品の引渡を受ける方法としては、同会社より被告人方に配達されることもあり、又同会社の倉庫より被告人が出荷を受けるために同会社から同製品引渡指令書を受取る場合もあることも明らかである。前記確定判決を経た罪の事実には該指令書なる財物の騙取として認定されて居り、本件公訴事実においては、石油購買代金の支払を免がれて財産上不法の利益を得たものとして起訴されているけれども、斯の如き差異は被告人と被害会社との取引関係の基本的条件にはいささかも影響するものではないことも常識上当然肯認されるところである。然らば、前記合計二十二通の約束手形の偽造行使に基く詐欺は、時の近接、場所及び方法の同一、手形自身の同一的形態、その振出に及んだ社会的基因の同一、被害者の同一、被告人の犯意の継続的一体的認識等から考えて、これを法律上別個の行為即ち刑法所定の併合罪であると評価することは論理上においても洵に無理であるばかりでなく、若し検察官主張の如く、斯かる犯罪を併合罪なりとして一つ一つ分割して起訴し、且つ判決することを得るものと解すれば、被告人の更生を目的とする生活の安定は到底期待し難いところであるばかりでなく、本件においては、捜査官において前記の如く当初起訴した際に残りの二十一通についても充分起訴し得る状況にあつたにも拘らず、何故かこれを起訴しなかつたところが、被告人は昭和三十二年十一月十九日他の共犯者と共に恐喝罪の被告人として鹿児島地方裁判所に対して起訴され、該被告事件が第一審の公判に繋属中たる昭和三十三年三月一日被害会社より残りの二十一通分について再び鹿児島地方検察庁に対して告訴状を提出し、その頃捜査官においてこれを起訴すべき証拠が完備していたことも前記と同様であつたのに拘らず、右恐喝罪により被告人が同地方裁判所において昭和三十三年六月五日(前記執行猶予期間経過後)懲役一年二月の実刑を受け、同年同月二十日確定し、これによつて被告人は服役し、同年十二月五日仮釈放となつて社会に復帰したのであるが、同三十四年二月十九日に及んで右残りの二十一通の分について起訴されるに至つたのである。故に斯の如き特殊の状況下にある被告人に対して右残りの二十一通分を起訴することは、益々もつて被告人の更生的生活の安定を阻害し、否不能とするものと謂わねばならない。検察官の目的意識の如何は別として、結果においては、斯かる起訴は、刑事訴訟規則第一条に宣明されている「この規則は、憲法の所期する裁判の迅速と公正とを図るようにこれを解釈し、運用しなければならない、訴訟上の権利は、誠実にこれを行使し、濫用してはならない」との訴訟法の根本精神に反することになるものと謂うべきである。さらばこそ、連続犯の規定が廃止された今日においても、包括一罪の観念が判例及び学説上も屡々認められて来ているものであつて、そのことは、検察官の立証上の困難を避けんとするためだけによつて認められて居るのではなく、本件の如き少くとも結果においては、徒らなる刑罰権の行使をも禁止し、もつて裁判の迅速と公正を期し、よつて被告人の基本的人権を保障せんとする刑事政策的乃至刑事訴訟法的目的をも有するものと考えられるのである。
結局本件公訴事実は、既に確定判決を経たものであると認めざるを得ないので、刑事訴訟法第三三七条第一号に則つて主文のとおり被告人を免訴する。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 田上輝彦)
犯罪表
番号
偽造年月日
約束手形金額
行使年月日
1
二八、一、二四頃
三五、七〇〇円
二八、一、二四頃
2
〃
一四、二八〇
〃
3
二八、一、二七頃
三五、七〇〇
二八、一、二七頃
4
二八、一、二八頃
一四〇、八〇〇
二八、一、二九頃
5
二八、二、一四頃
七四、四〇〇
二八、二、一四頃
6
〃
一七八、五〇〇
〃
7
〃
五七、一二〇
〃
8
〃
二一、八〇〇
〃
9
〃
二一、五七〇
〃
10
二八、二、一七頃
七一、四〇〇
二八、二、二〇頃
11
二八、二、一八頃
一一四、二四〇
〃
12
二八、二、二三頃
三三、九三〇
二八、二、二三頃
13
二八、二、二四頃
一四、二八〇
二八、二、二四頃
14
二八、二、二七頃
九、〇九〇
二八、三、三頃
15
二八、三、三頃
二一、四二〇
〃
16
二八、三、上旬頃
一六四、一六〇
〃
17
二八、四、一三頃
七〇、〇〇〇
二八、四、一三頃
18
〃
七〇、〇〇〇
〃
19
二八、五、二〇頃
三〇〇、〇〇〇
二八、五、二〇頃
20
〃
三一四、〇一九
〃